武豊とオグリキャップ を語ってみよ
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1987年にそれぞれがレジェンドになるなんか予測不能よ
今や騎手のみならず競馬界の第一人者といってもええやろう武豊も当然他の騎手と同じように、競馬学校を卒業してデビューを迎えたのが1987年。
一方、オグリキャップも1985年に父ダンシングキャップ・母ホワイトナルビーというお世辞にもええとはいえん血統で誕生。1987年に競走馬デビュー。
もちろん、オグリキャップは笠松でデビューするわけやから接点はこの時点ではもちろんないわけやな。
武豊はデビュー年に69勝そのうち重賞3勝とか
こんな時期も。。さすがに若い。
まず武豊のデビュー年の成績やけど、圧巻の成績やわな。初めての重賞勝ちが京都大賞典のトウカイローマン、この馬オークス馬なんよな。
勝ったのももちろんすごいことやけど、よー乗せてもらえたなってのがまず最初に思うわ。父の武邦彦厩舎でもないし。
あと、初年度に重賞3勝、これも騎乗馬によるとこも大きいやろけどなかなかできる芸当じゃないよな。
しかし、弟の幸四郎は兄以上のことをやってのけとる。デビュー翌日に初勝利が重賞勝ちという大記録。こんな記録将来も破られへんのとちゃうか。
オグリキャップは、笠松からのたたき上げスターやな
始めからスター候補生やった武豊とは対照的に、オグリキャップは地方競馬である笠松からのデビュー。
新馬戦で2着に負けて、その後最終的に笠松で8連勝してJRAに移籍するんやけど、やっぱ中央と地方の所属馬には差があったから測りかねるもんはあったよな。
蓋開けたらとんでもなかったけど(笑)
そっから、あっという間にスターホースにってことやけど、今でいう3歳の頃なんてちょっと使いすぎちゃうんって思うけど。
しかし、ホンマもんのサクセスストーリー描いてたわ。
オグリキャップのライバル馬に騎乗してた武豊
オグリキャップがJRAに移籍した当初から武豊が乗ってたかというとそうじゃないねん。
どうしても最後の有馬記念がピックアップされるから主戦やったと思われがちなんよな。昔からの競馬好きからすると別に知ってことやとは思うけど。
むしろ主戦どころかライバルであるスーパークリークとかに乗って立ちはだかってたくらいやから。
笠松では安藤勝巳が最多で7戦、JRAでは河内洋と南井克巳がこれまたそれぞれ7戦ずつ騎乗してるんから主戦は2人のうちのどっちかやな。
結局は最後の有馬記念がインパクト大きいんやな
とはいえ、オグリキャップ=武豊のイメージの象徴的なシーンは結局有馬記念になるんよな。
衰えが指摘され引退レースやから人気を下げていたのとは対照的に、今でいう3歳馬が世代交代を意識させるように上位人気してたからな。
もちろん結末は改めて書くまでもないけど、最後の直線は今でもすっと思い出せるわ。これね ↓
17万人競馬場におったらしいね。
レース前に逃げる?ヤエノムテキはともかく(笑)また、違う馬でもこんな劇的復活シーンを見てみたいな。